DRMRの日記

科学、技術、社会もろもろについて

AIに囲碁将棋で負けても仕事はなくならない

 AIが人を囲碁や将棋で打ち負かすニュースはAIが人にとってかわるイメージを持たせるのに十分効果的であるが、ディープラーニングなど現在AIと呼ばれるような技術に少しでも触れたことがある人であればAIが人にとってかわり失業するといった脅威が簡単に訪れるとは思わないだろう。

 

  1. まず第一に、囲碁や将棋が人間しかできない知的なゲームとの印象をあたえてきたことがあげられるがこういうゲームは本来計算機がとっても得意なものだ。
  2. 得意な理由はルールが決まっていて世界が盤上にかぎられていることだ。怒って将棋盤をひっくり返すような人は考慮しなくてもよいのだ。現実の世界はこれほどルールや境界がはっきりした問題は稀で、しばしばそれらは変更されてしまう。
  3. 次にいくらでもやり直しがきくゲームだということ。alphaGoなど、強化学習という方法を使ってAI対AIでの対戦で疲れ知らずにどんどん強くできる。ヘルスケアでのAIの活用と言われているが、現実の世界では試しに人に手当たり次第に薬を飲ませてみるみたいなことはできない。iPS細胞とかである程度ヒト細胞での研究はやりやすくはなってきているがAIが解決してくれるものではない。トレーニングデータが乏しいなかでは積み重ねた事実によりに慎重な演繹により解を見いだす必要があるが現在のAIに徹底的に不足している要素だ。
  4. 囲碁、将棋では必ず勝負がつくというのも見逃せない条件だ。現実の世界には解けない問題、与えられた情報だけでは解けないという問題が多々ある。というよりそういうものがほとんどだ。AIで薬をデザインするとして、その疾患に対して、そもそも治療薬が存在するのか。候補の中に含まれるかは保障されない。それにも関わらずこれまでに人間が解くことのできなかった課題、本来的に解くことのできない課題も含めて万能の神のようにAIが解決する時代が来るかのように語られている。まとめるとAIの今般の成果を示すものとして、囲碁、将棋はとても「うまく」課題設定されたものである。現代のAIの手法、計算機の能力がピタリとはまると信じ現実のものとした開発者に敬意を惜しまない。もし汎用AIというものが実現したら敬意を払うべき技術者もいなくなるところだが、幸いにして当分その見込みはないと思われる。
  5. 技術以外の要素としては経済性が大きい。もしあらゆる仕事がAIにとって代わられ失業するとしたら自動運転車を買える人もいないことになる。AIに代替するための膨大なコスト、運用コストを払うのも人間だから、無くなる職業があったとしても適当なところでバランスするだろう。おそらくソフトウェアの部分でなくロボットをつくる部分のコストのほうが大きいため、庭師のような仕事は代替されにくい。看護、介護、保育といった仕事も良いだろう。プログラマのような仕事は計算機の中だけでルールベースで行われるもののため一見代替されやすいようにもみえるが未だ自動コーディングの試みがまともに実現したことはないし、AIに関する仕事をすればよい。

最後に生物物理を学んだものとして、原理的には人間を忠実にミミックできれば、人間程度のあるいはそれを上回る能力を持つAIが開発される可能性は否定しないが、現状我々の知識は圧倒的に不足しており、何より人間も含めた生命、自然に対する謙虚さが必要だと思う。